樫井川流域歴史探訪
衣通姫伝説
錦絵 日本の歴史
神々と義経の時代より
日本書紀によれば五世紀の頃允恭(いんぎょう)天皇(仁徳天皇の皇子412〜453)の皇后忍坂大中姫の実妹衣通郎姫(そとおりのいらつめ)が妃の一人となっている。忍坂大中姫と衣通郎姫が姉妹だった為か、皇后の嫉妬が激しく妹の衣通郎姫を河内の茅渟宮(ちぬのみや)に住まわせたと云うくだりがある。その茅渟宮の比定地は現在の泉佐野市上之郷付近とされている。後にこの茅渟宮を中心に和泉国が成立している。 広辞苑より
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允恭天皇が皇后の嫉妬を恐れ、茅渟宮という別宅を衣通姫に与えたという伝説です。河内の茅渟に宮室をたてて、允恭天皇はしばしば日根野に遊猟のおいでになった。という伝説。 |
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五畿内(現関西地区) 霊亀二年(716)四月十六日に、河内国から大鳥郡、和泉郡、日根郡を割いて和泉監(いずみげん)が建てられた。この地に離宮として茅渟(ちぬ)宮(珍努宮、和泉宮)が置かれたことが、監という特別な位置づけに関係していたと見られる。 天平十二年(740)八月二十日に廃止され河内国に再び併されるも天平勝宝八年(天平宝字元年)(757)に、和泉国として分国された。泉州と呼ばれる。 |
日根神社内にある比売神社
祭神は衣通姫